僕と作曲について
本来なら旅行レポートですが、ちょっとブレイク。
最近、考えていることについて、つらつらと書かせてもらいます。
現在、お金を頂きながら(仕事として)作曲活動をしているわけですが、そもそも本格的に作曲を始めたのは19歳から、山口大学に入学してからです。
早い人は音楽高校から、下積みを重ね高校卒業後は音楽大学作曲科に入学というルートを取る人がほとんどだと思います。
僕の場合、大学に入学するまではほとんど作曲をしたことがなく、作曲開始時期が他人より随分遅いと思っています。
しかし、努力が実ったのか、運が良かったのか、他人により年齢に対する作曲年数が短いと思いますが、こんな感じで作曲活動をしています。
(『おまえズルいぞ!』だなんて言わないでね)
音楽を始めたきっかけは、おふくろがピアノを弾いていて、僕もヤマハ音楽教室に通い始めたということです。
もう20年も前の話です、懐かしい。
語りだすと長くなりますが、中学生の頃にエレクトーンに転向、高校で吹奏楽部に入部しクラリネットを、大学でも吹奏楽部に入部しフルートを始めました。
吹奏楽部時代、ちょっとだけ他の人と違ったことがありました。
僕の頭は理系脳で、”答えははっきり!理解しないと気が済まない”人で、特に、高校時代からコード(和声、全体の響き)、楽語、その他、楽譜に書かれていることを把握、理解しておかないと気が済まない人でした(これが作曲をする上での知識となり、作曲をすんなりはじめれた要因になったと思っています)。
高校時代、進学校だったにも関わらず「音大に行きたい!」と言っていて、両親や担任の先生に反対されたのを覚えています(笑)
当時はクラリネットを専攻したかったのですが、今では山口大学に行ってよかったと思っています(笑)
大学は教育学部の情報(コンピューター)を専門とするコースでした。
コンピューターを使って情報処理、芸術を扱う学科でした。
僕の両親は教員で、音楽を扱いたいなら高校教員になって吹奏楽部を…という事で教育学部に進学しました。
しかし、「作曲家が作った楽譜を演奏するだけではなく、楽譜を自分で作るのも楽しい」という事に気づき、作曲を始めた…というのが、作曲を始めたきっかけです。
出逢いっていつあるかわからないですね!
ちなみに、教員免許は2年次に断念、持っていません…
(でも、教育関係の授業は受けていたし、今でも教育に興味関心があります)
それはさておき、作曲理論を独学で勉強開始、今考えると恐ろしい曲を作曲していました(笑)
4年生に進級、この前に両親に音楽学校進学を了承していただき、先生に作曲を師事しました。
4年の頃は、かなり勉強したと思います。
ゼミの勉強はせずに、ひたすら芸大和声をやっていたのを覚えています。
大学を無事に卒業、吹奏楽の作曲がしたかったので、吹奏楽が盛んな専門学校尚美を選び、入学(「なんとなく」では無く、ちゃんと見極め選びました!)。
作曲学科自体は吹奏楽の作曲が盛んではなく、管弦打楽器学科に直接お願いして吹奏楽作品の音出しをしてもらったり、管弦打楽器学科の知り合いにアンサンブル作品を演奏してもらったりしていました。
2年間、たっぷりと勉強をし、(本当はもっと勉強をしたかったけど事情により)卒業。
そして、今に至ります。
今考えると、計画的な人生というより、偶然が重なっただけの人生と思っており、結局、作曲に落ち着いた、という感じです。
他の作曲家には無い、奇抜な人生ですね。
もちろん、作曲を仕事としてできていることは嬉しいですが、その反面、多くのものを失ったとも思っています。
人生よかったのか悪かったのか、成功しているのか失敗しているのか、自分自身でもよく分かっていません。
作曲はいつもうまくいく(ひらめく)とは限らず、辛い時もありますが、結局、皆と楽しく音楽に触れている時が幸せです。
とはいえ、まだ25歳の若造です。
この先について、悩んでいることがたくさんあります。
公の場で言うことではないので詳細は避けますが、音楽で生きていくって本当に難しいと思います。
この先の生き方について怒られた事もあります、自分の考え、計画性が甘かったと凹んでいます、反省しています…
また、やりたいこと、叶えたい夢がたくさんあります。
夢の実現に向けて、人生プランをしっかりと設計しなければです。
そして、多くの友人が暖かく支えてくれているので、作曲活動が出来ています。
僕ひとりでは作曲活動は出来ません、支えてくれる友達に感謝しています。
そんな訳で、だらだらと僕と作曲について書きました。
まだまだ作曲家として未熟者ですので、たくさん勉強をし、経験を積んで、上を目指したいと思います。
よろしくお願いします。